だからオマーリさんが好きっ!
1983年11月年頃

CARBOYという雑誌は
自分じゃ暴走族じゃない!
そう言ってるけど、世間から
見れば、立派な暴走族です……ぅ。

だからオマーリさんが好きっ! 1983年11月

CARBOYという雑誌は
自分じゃ暴走族じゃない!
そう言ってるけど、世間から
見れば、立派な暴走族です……ぅ。

完全に、タイトル先行型の企画であります(笑)

『だから、オマーリさんが、好きっ!』

なにが、『だから』なんですか?
どうして『好きっ!』と、小さな『っ』が入ってんですか?
ちょっと、茶目っ気でも出して、切符切られるのを、
勘弁してもらおうと思ってんですか?

ま、そこんところは、あまり角を立てないで……。

藤本が、CARBOYで仕事を始めてから、徐々に
チューニングという方向に、雑誌全体が突っ走っていくように
なったのだが、最初の最初は、臨海や新木場を走っている
人たちと同じ地平に立ってみようと思ったことがキッカケだった。

そのとき、編集長だった橋本茂春さんに、

「藤本くん、そりゃあ、暴走族じゃないですか?」と聞かれた。

そして、「雑誌が、暴走族を掲載するというのは……」とも。

それに対する私の答えはこうだった。

「編集長、たしかに、彼らは夜中に走り回ってますけど、
バットは積んでませんよ。旗も振ってませんよ。
箱乗りも、やりませんし……」

いま、考えれば、無茶な言い訳である。
しかしながら、当時は、そういう風に言うしかなかった。

そして、それがなんとなく通ってしまったのだ。

だからといって、雑誌社として、完全に警察を敵にまわすことは避けたい。

だから……オマーリさんが……好きっ!……なんです(笑)

無茶苦茶な話やな〜。
当時あった雑誌のうち、ホリデーオートの『Oh! My街道レーサー』という
企画は、竹槍出っ歯のオンパレードだった。

でも、ああいうのは、自分としては好きではなかった。
藤本の出身である岸和田にも、暴走族はいたし、
車高短やハの字はたっぷり存在した。
でも、暴走は、だんじりだけでたくさんだった(笑)

もっと、カッコイイクルマとの付き合い方、
大藪春彦の小説のなかに登場するような、
改造車との付き合い方ができないのか?

そういう思いのなかから、チューニングカー路線が出発した。
ま、そういう存在が、当時実在していたですからね。

その代表選手が、ストリートゼロヨンだった。
そして、それをイベントとして企画し、実行し、
いつのまにか36年が経ってしまった。
ま、そんなとこがホントのところですかね。

当時、オマーリさんと、いろいろと一悶着あった全国の
CARBOY読者のガス抜きというか、ひとつひとつの
話が、本当に面白いので、そいつを特集してみたというわけです。
そして、この企画は、大きな反響を呼び、このシリーズは、
このあと、何度も特集するほどの人気企画となっていきます。

オマーリさんと、ヤッチャンの話は、何度聞いても、面白い!!


……ただし、自分に降りかかってこないという前提で(笑)

 


©八重洲出版 

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

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よろしかったら、お願いします。


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